コラム

若者×まちづくり=飯塚の老舗「喫茶太陽」のセカンドストーリー


地方創生において地域に変革を起こすのは、「その地域で生まれ育ったわけではなく、何かの縁でその土地に来て、ちょっとした見方や今まで考えたこともなかったようなアイデアを出して、長く暮らし凝り固まった思考から脱却して新しい価値や概念を生む人」とよく言われる。わかりやすく言えば「固定概念がない人」のこと。
少子高齢化と地方衰退が進み、政府も地方へ人材が流れるように
・Iターン(縁もゆかりもなかった地方へ移住すること)
・Uターン(地方出身者が上京後出身地域に戻ること)
・Jターン(地方出身者が上京後出身地域の近くへ戻ること)
に力を入れている。

大学入学を機に飯塚に来て、誰かのためになりたいと仲間と共に動き出したのが、喫茶太陽を復活させた稲富隆太氏である。

稲富隆太: 八女市出身の33歳。近畿大学産業理工学部を卒業後飯塚市内の会社へ就職。2019年3月に退社し、コンサルティング会社を設立した起業家。

喫茶太陽は、海軍軍人だった初代オーナーが昭和21年菓子やパンを食べられるお店として開業。

昭和13年吉田茂元首相の三女が麻生太賀吉氏のもとへ嫁がれたとき、吉田家のシェフだった浜田氏が世話役として筑豊へ。浜田氏は喫茶太陽の常連となり、ご飯類のメニューがないことからレシピを考案し伝授。中でもイギリス風カレーは人気となり、後に「吉田カレー」と呼ばれるようになる。

筑豊地域は15市町村43万人で年々人口が減る地域。福岡県立大学(田川市)、九州工業大学情報工学部・近畿大学産業理工学部・近畿大学短期大学(飯塚市)の4大学が存在し6000名の学生がいるが、卒業と同時にほとんどの学生が筑豊から離れてしまう。地域と関わる機会がなく、ネガティブイメージの筑豊のまま、つながる機会がないまま、未来や夢を創造することも実現することもないまま筑豊を離れていく。

喫茶太陽はCo-Working Café太陽へと称号を変更し、吉田カレーを復活させて喫茶としての機能は継続しながら、これからStart-Up倶楽部太陽の運営にも力を入れていく。フィールドワークを通してつながりを作り、ビジネスや地域を盛り上げる人の育成ができる場所として時代とともに形を変え、新しい考えを持っている若い人たちやムーブメントを起こしたいと思う人たちと新しい町や筑豊を作る。その一員でありたい、と稲富氏は熱い想いを語ってくれた。

クラウドファンディングはこちら(〜9月29日)

メディアにも多数掲載。

Co-Working Cafe 太陽 〒820-0005 福岡県飯塚市新飯塚15−1